熊本訪問 2016,7,13(水)~16(土)報告
参加者 男性4名 女性3名 7名
北條 義信 鍋野 了悟 藤井千龍 朱 巴子 奥村 和子
蔡 一恵 加藤 龍一13・14日
13日
熊本空港、レストラン休業中 光行寺(菊池郡大津町陣内96)築20年程の本堂
山陽仏青 仕込み手伝い(光行寺の庫裏) ホンダ熊本工場体育館避難所ANAのお風呂
山陽仏青のそば飯と明石焼きの炊き出150食を立野地区(阿蘇大橋近く)から避難の方々
14日
「南阿蘇よみがえり」の片づけ(光行寺の近く) 秋吉さんの姪の下田さん常駐
15日
阿蘇内牧温泉のボランティア 南阿蘇村東海大学農学部の学生の下宿
1階部分がつぶれている 阿蘇大橋の崩壊現場上流(東海大学から数百メートル)
阿蘇大橋崩落現場(対岸の山崩れ) 落ちた橋げたが下に見える
16日
熊本城の櫓 崩れた石垣の石にナバリング
崩れた石垣と建物 益城町の地震被害(重機で壊したような状態)
益城町(3か月経っても、手つかずの所が多い、2度目の烈震の影響が大きい?)
浄土真宗本願寺派 専寿寺本堂は全壊し片付けられていた。本堂の後ろの壁が倒れている
熊本空港へ着陸する時、屋根をブルーシートで覆った家並みが筋状に連なっているのが見えた。断層にそって、激しく揺れたことが一目瞭然だった。少し離れると、被害が小さい。
連休中1日600人だったボランティアが、7月には60人に減っている。片づけが進まない。
死者は55人、関連死10人。すでに、自殺者がでている。(将来への見通しが立たないから)
7月13日は、飛行機が着陸できない場合は、小牧に戻ることもあると出発前にアナウンスされているような気象条件だった。大雨による避難勧告が各地に出された。6月からの、大雨による農業被害は320億円近くにのぼる。
避難所は99か所、4700人。車中泊の人もある。仮設は、3631戸(約4割)完成、入居者は、730戸(不便、河川に近く洪水が怖いなどの理由で入居進まず)。
仕事を失い休んでいる人、21400人。(ボランティアをしている人もいる)。仕事が無くなり(東海大学の撤退、観光客の激減、農業資本の破壊、中小工場の被災など)、村社会が消えていくおそれがある。
罹災証明16万3500件、1次調査は、外観だけなので、一部損壊の認定になると、行政からの支援がない、2次調査は内部も見るので、依頼者が多いが、1日4件が限度なので、専門家の不足もあってなかなか進まない。
死亡者への義捐金(赤十字)は20万円
寺への行政からの支援は全く無い。一部損壊300カ寺、本堂崩壊19カ寺、熊本県1015カ寺中613カ寺に被害。益城町の、写真にある専寿寺さんなど、寺が壊滅していて、当然檀信徒も被災をしてみえるので、再建は極めて困難を伴うだろうと思われる。