ボランティア活動等

東日本大震災追弔法要&勿忘の鐘&語り合い

2015年3月11日、名古屋別院本堂下大広間と大鐘をお借りして、東日本大震災追弔法要&勿忘の鐘&語り合いを執り行いました。

今年は清澤委員長に導師をお勤めいただきました。委員長には、切なる願いが込められた表白(下記参照)を作成し、拝読していただきました。会員一人ひとりが、出あった人、場に思いを馳せ、声を一つにお勤めをいたしました。

3.11

法要後、名古屋別院さま大鐘に移動し、勿忘の鐘を撞きました。14:46には東北の空を仰ぎ、静かに手を合わせました。昨年同様、愛知県内に避難されている方々の団体「あゆみR.P.Net」の岡本さんにもご参加いただき、厳粛な時間を過ごしました。

3.11-1

鐘を撞いた後、本堂下の広間に戻り、この四年間のことを会員のみんなと語り合いました。こうやって自分の気持ちを聞いてもらえる仲間と時間、とてもとてもありがたいことです。一人では気付けない、一人では進めない。一人では喜べない。心からそう思います。震災というご縁をいただかなければ、私という人間は他者を排し、個人的な狭い世界で生き続けていたと思います。

人として生きる悲しみ、そして生まれた意義を求め続ける仲間と出あい、認め合う世界の一員となった喜びにあらためて胸が熱くなりました。しかし同時に、そのようなご縁を通さなければ大切なことに気づくこともなく、向き合おうともしない私という人間の愚かさに胸がズキズキします。ごめんなさいね。それでも生きていきたい。つながりたい。帰りたい。これからも一歩ずつ歩んでまいります。

南無阿弥陀仏

3.11-2

 

表 白

震災から4年が経ちました。

4年経つ今もなお、ひび割れた道路、崩れたままのブロック塀、倒壊した家屋が、未だ多く残っています。

時の経過とともに、日常を取り戻すことができている人もいるでしょう。

困難な状況の中、復興への長い道のりを覚悟しながら、 必死にがんばっている人もたくさんいるでしょう。

震災から4年。記憶の“風化”が懸念される中、何を目指していけば良いのか。

 

私たちの予想を超えた自然の猛威により、多くのいのちと生活が失われました。

震災により、文明の粋を集めたとされる原子力発電所の制御がかなわず、深刻な問題が生まれ、深い悲しみを強いられている人たちが多くみえます。

今もなお、多くのいのちが傷つけられ続けいることを深い痛みをもってここに胸に刻みます。

今、みほとけの前に灯された灯りは、私の小ささとはかなさと愚かさを照らしだし、同時に、私たちにあらゆるいのちと共に生きる世界をひらき、自己中心の生き方を超えていく道を照らし出しています。

今一度、思い出してください。4年前の震災のことを。

 

想像してください。私はここに居るよと叫ぶ声を。

想像してください。忘れ去られてしまう不安を。

想像してください。古里を失った悲しみを。

想像してください。不安いっぱいに生活している人を。

想像してください。外で遊べない子どもたちを。

想像してください。声を出したくても、出せない人がいることを。

想像してください。想像してください。

 

私たちは一人一人が、あらゆるいのちの歴史と現在に責任を負っています。

東日本大震災と福島原発事故から4年。「4年たっても決して忘れない」

声なき声を聴き、問い続け。

寄り添いながら・・・。寄り添い続けていく。

どこまでも、どこまでも。

 

2015年3月11日 でらボラNAGOYA 委員長 清澤雅章

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